Sunday, May 6, 2007

旅立ち

1988年6月アメリカ・ワシントン州シアトルへ向けて成田空港第一ターミナル・・・というよりその時は第二ターミナルはなかった・・・で一通りの手続きを進めていた。この旅行はは私には初めて国外への旅行だったのでかなり緊張していた。私は航空会社チェックインカウンターでもすべて本で読んだ規定どおりのプロセスでチェックインを終えた。飛行機に乗るのも、生まれてこのかた函館から羽田まで母親と旅行した時に乗っただけだったので空港ロビーのガラス窓の外に見えるジャンボ機の大きさが私に更なる緊張を与えた。それよりも何よりそのはじめての外国への旅行が1週間とかの観光旅行ではなく、1年間は滞在しようと考えていた留学だったというのは今考えるとちょっと無謀だったと思う。実際、その無謀さは当のアメリカについてから十分思い知らされた。

アメリカまでの飛行機はコンチネンタル航空のシアトル経由ダラス行き?だったような気がする。とにかく目的地は米国ワシントン州のシアトルという都市だった。理由は簡単で大学時代のアルバイト先に大学の研修の一環で来てたロクサーヌというワシントン大学の学生と知り合ったからだった。外国なんか一度も行ったことない自分が初めて生活をしに行くところに誰もいないところを選ばない辺りが、無謀と言えどもちょっと冷静な考えのもと決定されていることが分かる(笑)。今では到底考えられないが、その頃の飛行機は喫煙可能だったので驚いてしまう。当時、私は喫煙者だったので12時間も吸えないなんて到底考えられなかったのでチェックインの時に迷わず喫煙席をお願いしたくらいだった。ただその喫煙席というのがジャンボジェットのドアから入って遥かかなたの最後尾の部分が喫煙席だとは初めて国際線ジャンボジェットに乗る私にとって知る由もなかった。

長時間の旅行はさほど苦労はなかった。夜7、8時頃の出発だったので食事をして、ビール、ワインとこれも規則的に飲み映画を見ながらぐっすり寝てしまい、目が覚めたら朝食の時間だった。朝食を食べ終わって外を見ると緑色の大地に沢山の湖が見え始めた。「とうとう来た!」と叫びたい気持ちだった。大学4年の夏過ぎに内定してた会社を断ってアメリカ渡航を決めてから希望に約10ヶ月間、この日を待ちわびていた。

飛行機はSea-Takエアポートへ到着して前々から連絡を取り合っていた元研修生ロクサーヌが空港まで迎えに来ているはずだ。留学生の利用するF-1ビザだったので通常の観光客より多少時間がかかったものの、比較的やさしいイミグレーションの担当者に「ワシントン大学はいい大学だ!ハスキーズ!!」などといいながら難なく通り過ぎ、スーツケースをバゲージクレームから受け取り出口を出た。ハスキーズとはご存知の犬と狼の混血といわれるハスキー犬で州立ワシントン大学のマスコットであり、この大学の学生達はハスキーズと呼ばれていた。バゲージを受け取り出口から外に出たのはいいが、迎えに来ているはずのロクサーヌの顔を全く覚えておらず、誰が誰だかわからない。時間はドンドン過ぎほとんどの人が出てきて、その出口のそばで待っているのは女の子2人だけ。よーく見てみたけど覚えがない。特にもう片方の女の子はものすごくド派手な全くの東洋人。後からわかったのが日系ハワイアンの3世でした。とにかく人気もまばらで心細くなってきたし、思い切ってその女の子達に声をかけようやくロクサーヌと出会えて一安心した。これで会えなかったりしたら本当にジョー談にもならなかった。

あの頃を思い出すとすべてが行き当たりばったりの人生だったような気がする。何も悔やんだりはしていないがもう少し思慮深く生きていくべきだったとは思う・・・ただその時は、自分で思慮深いと思っていたのだからどうしようもない。