Thursday, August 2, 2007

ベルリンの壁

シアトルのダウンタウンでコンクリートの破片を広場に並べて何かを叫んでいるアメリカ人を見た。

今となってはどこだったのか良く覚えていないがあの頃(1988-89年頃)シアトル・ダウンタウンに正面がガラスで覆われたモール(Mall)の前の広場だった。その広場にはやはりガラスに覆われたコーヒースタンドがあったと記憶する。よくそこでラテ(Latte)をテイクアウトした覚えがある。それとシナモンロールが美味しかった覚えがある。
とにかく、その広場でコンクリートの破片を並べている。別段、綺麗でもなんでもない本当の破片。更にその破片にはペイントがところどころ見える。破片の一面だけがペイントされていて壊れた部分はただのコンクリートの壊れた面でしかなかった。はじめはそれが何か全く分からなかった。そのブロンドの青年が叫ぶ言葉を聞いてようやくそれが「ベルリンの壁」の破片だということが分かった。
ハッキリ言って驚いた。確かに毎日見るニュースとかでベルリンの壁が崩壊して西と東に分断されてた人々が行き交い世界の新たなるスタートを予感させる出来事だった。これから時代が変わっていく・・・社会主義の行き詰まりを象徴するような出来事だったと思う。だからといってそんなコンクリートの破片を持ってきて売るなんて!ベルリンの壁の破片を片手に人々に訴えかけている青年を見ながら、誰がこんな沢山のコンクリートの破片をスーツケースに詰めて持って帰ってくる奴がいるのだろうと想像していた。これが売れるという保障があれば確かにするだろう、でもどう考えたって買う奴はいないと思う。
私がまだ4歳位の頃に近くに住んでいた登山好きのお兄さんがその場所を引越してはなれる時に大切にしていた富士山で採取した溶岩の破片をティシュペーパーサイズの箱一杯にもらった。それがそのお兄さんにとっては物凄く意味があったと思うが、やはり私にとってはただの石でしかない。ただ折角だから、と思いながら今でもまだ実家の本棚の下にしまってある。ちょっと状況は違うが、もらうならベルリン壁の破片も持っていてもいいかと思うが、買うまでには思いはいかない。
ただその広場でひとしきり煙草を吸いながらラテを飲んでいると恐ろしいことに気がついた。
その辺にいる人たちがドンドンそのベルリンの壁の破片を買っていくんです。それも次から次へと人々が大小さまざまな破片を買って、その販売主の青年と握手を交わしている。その青年はまるで彼自身がベルリンで壁を叩き壊した本人のように、東西の冷戦を終結した英雄のようにいつしか振舞っていた。そんな光景を見ながらやはりアメリカにとってのソ連との冷戦というのは日本人の私が思っているそれとは一般市民レベルから全く違うということが分かった。

その頃、日本でもベルリンの壁の破片を売っている人がいたかどうか分からないが、私自身、そこに居合わせてベルリンの壁を買わないまでも、目の前でベルリンの壁の破片を見たことは歴史上の証人になりうるのだろうか?そんな思いをめぐらしていると、あの時に破片を買っておけばよかったと思いに駆られる。