Sunday, April 12, 2009

電話ボックスの思い出

会社で働く若い社員達は我慢をするということがないように思える。別に我慢が美しいと昔ながらの日本的な風習を美化するわけではないが、あまりにも我慢がないように思える。新聞の3面記事には「ついカッとなって・・・」「目つきが気に入らなかった・・・」「むしゃくしゃしてたから・・・」という理由にもならない理由で人を殺してしまったりする輩(やから)が後を絶たない。さいきんの若い社員をみていると同様に「気に入らない・・・」とか「こんな仕事するつもりで入社したわけじゃない・・・」とか「だったら辞めろよ」なんて言うと「じゃ、辞めます」とあっさり言われてしまい、少なからずこちらも動揺したりする。この辺の人間関係に対するの今と昔が会社での上下関係を大きく左右して、更に若者は社会への失望を強めていく。



最近は街中を歩いていて公衆電話ボックスを見かけることはメッキリなくなった。
私の子供の頃の電話ボックスは全体がベージュで半分より上が四方ガラス窓になった細長いボックスで屋根が、注意を引くためか赤く塗られていた。更に出入り口のドアの取っ手の代わり丸い穴が開いておりその周りに黒いゴムをはめ込んだ何の洒落気もないただのボックスだった。その後、全面ガラス張りの今風の電話ボックスが現れ、ドアも凝った作りなのはいいが、開け難くて仕方なかった。2,3人で一緒に入ろうとするとあの折りたたみのドアの使いにくさを恨みさえしたのを覚えている。
自分自身が恋に目覚める年頃だったせいか、あの公衆電話ボックスは、あれはあれなりに色々な思い出の場面場面で重要な場面の背景として登場し、ドラマチックな演出をしていたような感がある。というか恋をしているとその人と少しでも一緒にいたい、一緒に話したいという欲求から電話という『文明の利器』が何と有難かったことか。さらにそれを利用できる個室があるなんて、3分10円は何というバーゲンプライスなことか!
寒い日などタバコの臭いを主とした何ともいえない臭いが漂う電話ボックスの中で足元に直撃する寒い北風を避けながら電話のうえに十円玉を載せて彼女に長電話をかけた思い出がある。あの闇の中にたたずむ電話ボックスの有様はなんとも切ないような哀愁を感じるのは私だけだろうか?



今は本当に携帯電話というとてつもなく便利なものが出来てしまったお陰で電話における男と女のラブストーリーは時代とともに様変わりしてしまったが、あの頃は電話をするとしても彼女の自宅に電話するか、バイト先に電話するかで、彼女が出るときもあれば、親が出るとき、上司が出るとき、全くでないときという様々なパターンが想定できそれなりの対応を電話のプッシュボタンを押しながら呼び出し音が鳴る数回の間に瞬時に想定パターンを考えるというとっさの対応という訓練の場であったのではないだろうか。例えば、彼女の自宅に電話をして在宅している彼女のお父さんが突然電話に出た時の動揺とパニック状態の中からどんな話し方をしたら好青年のイメージを与えられるか?声のトーンは?声が上ずっていないだろうか?というペンティアムでさえ一瞬のうちに処理できない対応方を迫られるあの瞬間に大くの諸兄たちも鍛えられ、今になって上司から突然の質問にもきちんと対応できる下地をあの公衆電話で培ったのではないだろうか?それからあの留守番電話の録音テープが陽気な彼女の声だけ流れて、いきなり「ピッー」と鳴ったりしたときは携帯電話の「電波の届かない場所・・・」というような録音とはまったく違った無念さと傷心からどのような辛い社会環境にも対応しうる根性を培ったのではあるまいか?
あの狭い中でガラスに寄りかかりその無念さを支えてくれた電話ボックス。何も言わずそっと包み込んでくれるあの味のある電話ボックスが消えつつあるのは何か惜しい気がするが、時がいつまでも止まってくれと思うのは歳をとったせいだろうか?