Thursday, November 29, 2007

おにぎりの子守唄

おにぎりを見ると今でも思い浮かぶ情景と音が脳裏に蘇る。

あれは多分、私が3,4歳の頃だったと思う。当時父が肺病で入院しており母と2人で小さな公団住宅に住んでいた。昭和40年頃のことだから今から思うと想像もつかないことが沢山ある。例えばお風呂場の風呂桶は木で出来ていた。木ですよ!?流石に団地だから薪で火を起こしたりはしないが、今から思うと、とてもすごい事だと思う。あとその団地は5階建てで、その時代はダストシュートといって階段の脇に5階から1階にあるゴミ箱に投げ落とすシステムがあった。5階からゴミなんかを落とすからいつも1階のダストシュートの到着点はゴミだらけで臭かった。

そんな2DKの小さな団地に母1人、子1人で生活していた。はっきりとは覚えてないけれど、その時はとても貧乏だったのだと思う。何せ大黒柱の父は病で長期入院していたのですから。ただひもじい思いもせずに育ててもらったのだから本当に両親には感謝しないといけない。

ある晩、10時か11時頃だったのだろうか、エアコンなんて無いから窓は網戸だけで外からの音が聞こえてくる。住んでいたのはその団地の2階でベランダの下には芝生があり、その向こう側にはもう1棟の団地がある。その手前の道を酔ったサラリーマンが気持ちよさそうに歌を歌いながら家路を辿っていた。最近はそんな酔っ払いが住宅地を歌を歌いながら歩いてる様子なんて見たことが無い。どちらかというと酔ってタクシードライバーを殴ったり、同じ家路を急ぐ女性に付きまとったりと何となくほのぼのとした雰囲気は無く、常に危険を感じながら暗闇を歩いているというのが悲しい。そんな音に目を覚まして母親を揺り起こした。その時に母がおにぎりを食べさせてくれたことを鮮明に覚えている。小さなキッチンの板の間に小さなちゃぶ台がおかれていて、そこに海苔だけを巻いた白いおにぎりがおかれていた。網戸の方を見るとまだそちらから酔っ払いの歌が聞こえている。母が一言だけ「美味しい?」と聞いたことを覚えている。何気ない一瞬がどうして付きまとうのだろう?もう遥か昔のことなのに。

外からの音で目が覚めたのか、おなかがすいて目を覚ましたのか、全く覚えてないし、母もそんな一晩のことを覚えているわけが無い。ただ、その時に食べたおにぎりがとても美味しかったのと、酔っ払いが歌う歌が団地の壁に響き渡っていたのを今でも覚えている。
自分の子供達と接している時に、この子達がいつか大人になって私とのどんなことを覚えているのだろうか?一言一言、気をつけて話さないと・・・とつい思ってしまう。

Sunday, November 4, 2007

バンバシュート / シアトルの夏のしめくくり

シアトルの夏が終わりかける9月、アメリカ人の友人から「バンバシュートへ行こう!」と誘われた。始めはバンブーシュートとかと思い、シアトルに竹の子狩りとかがあるのかと思ったら音楽の祭典だった(笑)。スペースニードルがそびえる1962年に開かれたシアトル万博の跡地「シアトルセンター」であらゆるジャンルの音楽家たちが集まって週末に音楽の祭典が繰り広げられる。

音楽と芸術の祭典にふさわしいポスター

入場料をいくら払ったのか覚えていないが88年のバンバシュートは9月だというのにとても暑かったのを覚えている。野外で音楽を聞きながらビールが美味しかったのも覚えている。その年の音楽祭の出演者で私自身が知っている人はあまりいなかったが、私が知らないだけで、今になって調べてみるとかなり有名なミュージシャンが出ていたので驚いた。あの当時(今でもそうだが)、私は基本的にハードロックを真髄としていたのでジャズ、ブルース等のミュージシャンはたとえ有名人でもあまり知らなかった。しかし、知らないミュージシャンが多い中でも流石にラバンバのロスロボス、カントリーのボニーラット、ポップのリチャードマークス、サックスプレイヤーのソニーロリンズなどたとえ興味の無い音楽ジャンルの人たちの名前を聞くと「あっ、その人知ってる!!」という具合だった。
沢山の屋内、屋外のステージで同時に公演される為、自分の気に入った人をスケジュールからピックアップして時間を合わせて見に行かなくてはいけないのでそれが大変だったのを覚えています。実際、一緒に行く人は音楽の興味が同じ人じゃないと一緒には行動が出来ない状態で、実際にアメリカ人との友達は一緒に行ったけどバラバラになって帰ったのを覚えています。
翌年の1989年のバンバシュートではリトル・リチャード、アル・グリーン、BBキング、オーティス・ラッシュなどのステージを見てすごく感動しました。特にリトルリチャードは歳をとっていてもあれだけパワフルなステージをこなすことが出来、最後の曲では自分を飾るジュエリーや時計やすべてを歌いながらステージから客席に投げてお客を更に沸かせるあのショーマンシップには驚きました。それとギターの大御所BBキングのあのブルースはたとえ嗜好の違う音楽ジャンルだとしてもグイグイと引き込まれるギターでした。
あらゆる演奏者の瞬間、瞬間の場面を思い出しますが、この音楽の祭典を印象付けたのは、眩しいばかりのシアトルの太陽の下で沢山の人種がステージで演奏されている音楽を一緒に楽しみ、ビールを飲んだり、ホットドックやピザを食べてひと時を過ごすあの感覚はとても新鮮に思い出されます。
今まで色々なコンサートやイベントに行きましたが、あれだけ音楽を身近に、そしてとてもリラックスしながら聞くことが出来たのはあまり多くないと思います。コンサート自体比較的自分の気持ちを解き放つ場であるとは思いますが、通常のそれ以上に解き放たれる場でした。あの音楽の祭典に行くことがあるだろうか・・・と想いを馳せて、今夜ももう一杯・・・・。