Saturday, September 29, 2007

ハンバーガー考

先日、知り合いとバーガーキングを食べながら昔話に花が咲いた。日本ではハンバーガーと言えばマクドナルドだが、アメリカではバーガーキングが代表格だった。その違いといえばアメリカ人曰く、マックは作り置きだが、バーガーキングは注文をとってから作り始めるので新鮮だ、と言っていた。それとバーガーキングの「ワーパー」はとても大きく、レタス、トマト、オニオンなどがどっさり入っていてまさしくアメリカ人好みだった。それに比べてマックは値段は安いがボリュームには欠ける。その辺がアメリカ人の支持を得た点ではないだろうか。ただ、バーガーキングは決して安く無かったので、その頃貧乏だった私にとってはあまり行くことはなかった。そんな話に興じているうちに、ワシントン大学の近くに思い出に残るハンバーガーショップがあったことを思い出した。
ユニバーシティーディストリクトのユニバーシティーウェイを北に進むとNE45th通りと交差する。この通りは東西に走る道としてはI-5と言うアメリカ大陸を南北に貫く片道5,6斜線の大きなフリーウェイを立体に交差する道のためかなり交通量の多い。
この45th通りを西へ進むとお店や酒場等が立ち並んでいたが、しばらく行くとまる映画「アメリカングラフィティー」に出てくるようなファーストフードスタンドがあった。駐車場は大きくその敷地の真ん中にガラス張りのショップが建ち、その中ではあらゆる人種の人達がハンバーガーをせっせと焼いている。ガラスの小窓から自分のオーダーを言って支払いを済ませると、あっという間に注文した品物が出てくる。このショップではチーズバーガーとチョコレートシェークを注文するのがある種「通(つう)」だとアメリカ人の友人から聞いたので幾たびにそのオーダーは同じだった。ハンバーガーはいくらだったか覚えていないが1ドル50セント位だったと思う。美味しいかというと決して美味しいとは思えないのだが、あの雰囲気の場所でチーズバーガーとシェイクを食べているだけでまるでアメリカ人っぽい自分に酔っていたのではないかと思う。あとその場所へはもちろん車でないといけない場所だった為に、当時車を所有していなかった私にとってはとても特別な場所であったことも確かだった。

今でもあのハンバーガーショップはあるのだろうか?サイパンで手軽にハンバーガーを食べると言ったらマクドナルド位しかないが、是非あの手のハンバーガーショップに登場して欲しい。ただ、今は車でしか移動しない生活をしているから毎日通ってしまうかもしれない!?

Saturday, September 22, 2007

ポートタウンゼント

「愛は遊び、と男は思った。愛は結婚、と女は信じた。」
もうこのフレーズがTVコマーシャルで流れていたのは25年前の私が多感(?)な青春を謳歌しているときだった。映画は好きだったがあまり見に行くことも無かったが、繰り返し放送されるこのキャッチコピーは気になっていた。そう、若き日のリチャード・ギアとデボラ・ウィンガー主演の「愛と青春の旅立ち」という映画のフレーズだ。結果的には映画館で見ることも無く、後にレンタルビデオで観たが内容的に感じるものがあったが、その映画の風景が青春映画というイメージとしては何となくうら寂しい映画だという印象だった。


それから5年後・・・・。

ある日、ワシントン大学のESL英語学校の本部となっていたLewis Hallの掲示板の壁にField Trip(いわゆる遠足)のサインアップシートが貼り出された。「ボーイング見学」「スノコルミー滝」「ポートタウンゼント」など3,4コースが設定されていた。どこへ行くか迷ったが、昔ながらの港町の街並みを見学しにシアトルの港からフェリーで行くということを聞いて「ポートタウンゼント」への遠足に参加することにした。
遠足の日は生憎というか、いつもどおりのどんよりした曇り空の寒い日だった。シアトルのフェリー乗場はダウンタウンのピュージェットサウンド(内海)側にあり、「ポートタウンゼント」はその内海の反対岸の内海の出口付近にある港町。フェリーは車を運ぶことの出来るカーフェリーで生活の足となる路線のようでデッキは車で一杯だった。フェリー乗場の近くにあった「Fish&Chips」という看板のお店で四角い紙のお皿に白身魚のフライとフライドポテトがどっさり乗ってタルタルソースがかかったファーストフードを食べながらフェリーに乗り込み目的地へと出発した。フェリーが出発すると曇り空の寒さの中をシアトルのダウンタウンの高層ビル街が次第に遠くになっていく光景は誰もがセンチメンタルになるらしく、遠足と言う割にはみんな静かに見つめていたのを覚えている。
フェリーが「ポートタウンゼント」の港に到着するとそこは1世紀タイムスリップしたようなうらびれたレンガ造りの街並みが広がっていた。その街並みをESLの教師と一緒に説明を受けながら歩き回っている時に1階が大きなガラス窓で薄暗い中にビリヤード台が見える赤レンガ造りのビルの前で立ち止まった。教師はこのビルは「An Offider and A Gentleman」という映画の撮影で使われた場所です、と説明したが全く何の映画かわからないでいた。他の学生から誰が主演だ?とか質問を聞いているうちにリチャードギア主演の映画だ聞いて、それが「愛と青春の旅立ち」のオリジナルタイトルだということがわかった。そうなるとどこの場面で???確かに士官学校に通うリチャード・ギアがデートの最中に地元の連中と喧嘩をする場面があったがまさしくその場所だった。それが私にとって初めての映画で観た場所と実際のロケーション現場がオーバーラップした不思議な経験だった。その後、士官学校の校舎で利用していた場所は確か公園として利用していたし、海沿いのモーテルはそのままモーテルとして営業していた。その港町全体が古き良き時代の趣を残しながらひっそりとたたずむ姿はとても印象的な町であった。多分、その町でランチも食べたと思うが、どうしても思い出せない。「ポートタウンゼント」の思い出は「愛と青春の旅立ち」そのものでしかなく、今でも忘れられない町のひとつである。

インターネットで調べてみたがその港町は今では観光に力を注ぎアートギャラリーなどを中心としたお洒落な町に変貌を遂げていると言う。いつになるかわからないが是非もう一度訪れたいと心から思う。

Saturday, September 15, 2007

キングドーム

アメリカでのスポーツ観戦の面白さはマリナースで教わった。
その年の6月からシアトルに住み始めて英語英語の毎日であまり出てあることも無く、学校の宿題とよくわからない英語でのテレビやラジオに囲まれて悶々と日々を送っていた。そんなある日、学校の日本人が声をかけてきて野球を見に行こうと誘われた。「あまり日本人どうして付き合って何になる・・・・」と考えてたところがあったが野球観戦というのはその時には、自分から進んで行くようなことも無いと思ったので英語学校の顔見知り2人と学校が終わってからのナイターへ行くことにした。



ユニヴァーシティーディストリクトからメトロ(2両編成のディーゼルと電気駆動のバス・・・地下鉄じゃない)に乗ってシアトルダウンタウンの南のはずれにあるコンクリートのむき出しと言う感じのあまりパッとしない野球場へ向かった。確かダウンタウンのどこかでバスを乗り換えてキングドームの近くまで行き、そこからテクテク歩いてキングドームへ向かった。ところでメトロというバスシステムだがこれがなかなか便利なバスだった。ある程度のところまではこのメトロを使って便利に行くことが出来る。乗車料金は確か1ドル位だったと思うが、目的地へ行くのに違う系統のルートへ乗り換えてが必要な場合は、最初に乗ったときにトランスファーチケットを運転手さんからもらっておく。そうするとどこかで乗り換えたときにトランスファーチケットでお金を払わずに乗換えが出来た。ただ距離がある程度あるようで乗り換えて長距離になる場合は追加で支払うこともあるらしい。チケットにエリアが指定されていてその指定エリア内での乗り降りが可能だと言うことだったのだろう。
メトロと言うバス自体非常にユニークだった。電気で走るにはもちろん日本で言うチンチン電車のようなシステムが必要なわけだが、その通りバスからバックトゥーザフューチャーにデロリアンに電線に引っ掛ける為の長いカギ状の先端が付いた棒がバスの屋根についてる。路線には電線が張り巡らされておりそこを流れる電気をカギ状の棒で電気を取って駆動している。面白いのはカーブとかで時々そのカギ状の部分が外れたりして運転手さんがそれをバスから降りて戻したりするのには流石に驚かされた。それとバスの中は広告も無く殺風景で初めて乗った時にはどうやって降りるのかもわからない程だった。ボタンも無ければ何もない状態でどうやって降りるのか???自分が次の停留所で降りたい場合、フレームの上のほうにぶら下がっているビニールで覆われたワイヤーを引っ張って運転手に降車を知らせるシステムだった。そんなシンプルさにとても驚いた事を覚えてる。
さて、バスを降りて「パイオニアスクエア」というシアトル発祥の地であるレンガ造りの洒落た街並みを通り過ぎ、キングドームまでようやくたどり着いた日本人留学生3名はドーム外にあるチケットブース前に立っていた。料金表を見上げみんな一致したのが「3階外野席 $3.50」だった。これは安い!!こんなに安くていいのだろうか!?と思うぐらい安くてみんな大はしゃぎだった。ただその場所へ行ってみてその安さを十分納得した。選手達は遥か彼方に見え、ものすごく高い。まるで超高層ビルから野球を見ているような気分だった。ただ、アメリカの生活をよく知っている人はご存知だと思うが、あの「タララ、ラッタラ~」というオルガン演奏の後の観客の盛り上がり方、なんとなくみんな子供っぽくていい感じだった。後で知ったのだが、あのその場その場で色々な音楽を入れるのはあの球場にオルガン演奏者がいてタイミングを見て演奏してるそうだ。球場内にはDomino Pizzaがあり、スライスピザとビールを買って野球観戦をする。残念ながらその当時のマリナースは弱小球団だったから外野席なんて誰もいないので売り子さんも売りに来ないが内野席だとビール、ホットドック、チップスなどを売りに来て野球の試合が進むに連れてビールを飲み試合以上に自分自身も盛り上がるあの野球観戦の虜になってしまった。それ以来、時々野球を観に行くことが増えた。プロ野球でなくプロバスケットボール(NBA)のシアトル・スーパーソニックスを観に行ったがあれはあれでまた観戦者の雰囲気が違う感じで、私にはのんびりしたキングドーム3階外野席での観戦が性に合っているようだった。
先日、久しぶりにシアトルでの思い出を書こうと思い立ち、シアトルのWebサイトを見ていたら2000年にキングドームが壊された事を知った。原因としては1994年に屋根の一部の崩落事故が起こり、改修作業中にクレーン事故で2名無くなったことが原因だそうだ。あのコンクリートの塊は爆破解体されたそうで、その後はシアトルシーホークスのホームグラウンドとして「クエストフィールド」が建ってられたそうだ。残念ながらまたシアトルに行った時にはあのキングドームはもうないというのはまるで思い出を一つ失ったような切ない気持ちになるのは私だけだろうか。

Tuesday, September 11, 2007

シアトルの夏

あんなに素敵な夏を過ごした事は今までになかった。

シアトルに6月3日に到着した時は既に夏の気候で毎日晴天が続き、さらに緯度が高い為に陽が長い。夏至の日でいうと日没が22時頃だったと思う。だから例え夜の8時だろうが、9時だろうが街は多くの人が行きかい、テニスをしたりスポーツをするのにも都合が良かった。ただその後知ったのだがアメリカではDaylight Saving timeと言って夏時間を採用していたので1時間分長かったことも影響してた。この夏時間(サマータイム)は6月1日~9月30日まで行われて日の出が早くなる北半球の夏の時期に1時間時計を早めることにより節電に貢献したりするのだが一番の目的は農業などの日中にしか出来ないことを前倒ししてやることが目的らしい。確かにそうすれば朝の涼しいうちに仕事も出来るし、何かと都合がいい。流石、アメリカはその辺の考え方が素晴らし(この頃は何かとアメリカに感心していた)。農業だけではなく工場なども実際は早めに仕事をスタートして早く仕事を終えて、午後の時間を有効に使うこともしていた。例えば、シアトルのある日本電子関係の工場は朝6時(これもちょっと早いけど)から操業が始まり午後3時には仕事が終了する。だから午後3時から十分遊ぶ時間がある。その時間で多く人が家の修理や芝刈り、テニスやウィンドサーフィンなどを楽しんでいた。朝が弱い人には酷な感じもするがあれはあれで1日が有効に使えるからいいと思う。朝6時から仕事が始まると思えば夜更かししたり、深酒する事もないから健康にもいいかもしれない。

さて、シアトルの夏のよさは陽が長いだけじゃない、その緯度の高さがやはり大きく影響している。シアトルは北緯47度付近に位置しており北海道の最北端と言われる宗谷岬でさえ北緯45度だからかなり北に位置していることがわかる。その北緯が避暑地のような素晴らしい夏をシアトルにもたらすのです。日差しは強く芝生の上や湖で遊んでいれば日焼けもしますが、基本的には涼しく、特に木陰に入ればかなり涼しかったのを覚えています。それとエアコンも無かったですね。アパートやシェアーハウス(学生達だけで1件家を借りて生活をする)などを転々としましたが、どこにもエアコンは無かったです。それだけ涼しい気候なのです。それと暑い夏と言えども海は冷たくては入れないと聞きました。実際、ビーチとかに行ったことは無かった。泳ぐと言えばその辺の湖。湖畔で日光浴したり泳いだり、ウィンドサーフィンをやったりして対岸へいったはいいが戻れなくて困ったことも今はいい思い出である。そんなシアトルでは木陰で本を読んで過ごしたり、自然の中でゆっくりと時間が経つのを感じながら過ごす、そんな素晴らしい夏だった。

この夏の良さをさらに思い知らされたのはその後1年間をシアトルで過ごしてよーく理解できた。8月を過ぎて9月に入るととたんに天候が崩れ、どんよりとした曇り空か雨の日が続いた。冬場は海洋性気候が影響してシアトル自体には雪が降ることは無く、たまたま何十年ぶりの大雪となった日には交通機関が麻痺して学校が急行になって朝からエスプレッソローマでラテを飲みながら雪の中を行きかう人々を見ながら1日を過ごした覚えがある。とにかく次の夏、つまり6月が車では曇り、霧雨、シトシト雨、濃霧というあらゆる雨の降り方を翌年の6月が来る9ヶ月間で学んだ。そんなジメジメ気候の9ヶ月間を過ごした後の6,7,8月の素晴らしいシアトルの夏はその前の9ヶ月があるからこそ更に素晴らしさをブーストアップするのです。これはシアトルに1年間を通した人だけが理解できる「シアトルの夏」なのです。