Thursday, July 19, 2007

州立ワシントン大学

「州立ワシントン大学」がどんな学校か知っていて選んだ訳ではない。

たまたまアルバイト先のホテルの研修に来ていたロクサーヌがその学校に行っていて、ただ単にロクサーヌしかアメリカに知ってる人がいなかったから、通うことになっただけだった。理由がどうであれシアトルのこの大学に辿り着いたことは本当によかったと思っている。20年経った今でもそう思っている。

ワシントン大学のキャンパスマップはココ!!

この学校自体、西海岸で2番目に設立された大学で大学のキャンパスもワシントン湖の西側一帯を大学敷地だけで西海岸1番の広さを誇っているそうだ。それに加えて大学に隣接してユニバーシティー・ディストリクト(University District)という街まである。この街は学生達の住むアパートや映画館、レストランなどがあり特にユニバーシティーウェイ(University Way)という南北に走る道沿いはコーヒーショップやらレストランやら沢山のお店がひしめき合って金曜日、土曜日の夜は遅くまで人通りが多くにぎやかな通りでした。ワシントン大学のキャンパスは特に西海岸一番ということもありスケールが違い、沢山の校舎などが広大なキャンパスに立ち並び、地図がないと本当に歩き回れないし、大切な教室にさえ辿りつけない程広いキャンパスでした。校舎は古くから使われているレンガブロック造りで各校舎にはそれぞれ名前がつけられている。
キャンパス内で特徴的な場所と言えば、赤いレンガが敷き詰められた通称レッドスクエアという広場があり日本語直訳で「赤の広場」という場所がある。そこからワシントン湖へ向かってなだらかな段々のスロープの遥か向こうにはワシントン州が誇るレーニア山がそそり立っているのが望めるように計算されてキャンパスはデザインされていた。天気のいい日などはこの「赤の広場」の階段に座ってサンドイッチとペプシ、というようなまさしく映画で見たキャンパスを実体験したりした。その当時はまだソ連もあったからあの広場を「赤の広場」と風刺的に呼んだのだと思うが東西の壁が崩された今、どう呼ばれているか不明である。
キャンパスで目を引くのはブロックやレンガの建造物だけではない。広大なキャンパスには沢山の芝が敷き詰められたスペースや大きな木々が生い茂っている。東京近辺の大学では想像できないことを目にしたりする。木陰で勉強や読書をする学生達、木々を上ったり降りたり、芝を駆け回るリス達。学校初日のオリエンテーションではリスに餌をあげて噛まれたりすると病気が移る可能性があるのであげないように指導されてたので餌をあげることはなかったが、アメリカの学生達のように授業までの待ち時間を木陰で過ごし、その近くをリス達が走り回ったりしているだけで幸せな気持ちになった。

広大なキャンパスにツタが絡まるレンガ造りの校舎、自然いっぱいにリス達が木々を駆け回る。それだけでも十分に素晴らしさを感じていたが通っているうちにもっともっとこのキャンパスに驚く発見をした。ワシントン大学はシアトルの地元の人達からは「ハスキーズ」と呼ばれている。最初は何のことだかさっぱりわからなかったが、アメリカの大学はそれぞれ自分の学校のマスコットを決めていてワシントン大学はあのオオカミのような犬の「ハスキー犬」がマスコットだった。そのハスキーという名を冠したハスキースタジアムがこのキャンパスにあり驚かされてた。最初は地元のスタジアムかと思っていたら、その場所もまだキャンパス内で高くそびえる大きなスタジアムが大学の所有のものだったとはスケールの小さい日本から来た私には想像も及ばないことだった。

スケールばかりでなく、機能にしても驚かされた。始めの頃は利用しなかったので気が付かなかったが「赤の広場」の脇にUndergraduate Libraryと呼ばれる図書館があった。この図書館だが夜中の24時まで利用可能なのだ。当たり前といえば当たり前だが、そんな図書館は今までなかったし、代々木ゼミナールの自習室という参考書や傾向と対策などの書物を貸し出してくれる場所でさえ21時までしか開放していなかった。24時まで図書館が利用できる便利さは使った人でないとわからない。授業が終わってから夕食の時間などの調整をしてあわてて図書館を利用するのではなく、自分の時間を有意義に使いながらあせって調べ物をすることもなく余裕を持って勉強が出来ることがどんなに精神衛生上いいことか。あの時に感じたのはこの大学にいる限り勉強をする環境が整っているだけで勉強がはかどる、というかやる気にさせる。あの時ほど自分から進んで楽しんで勉強したことはなかった。
 
私の経験を読みながら「アメリカかぶれ」とか思っている人がいるかもしれないが、行ってみればよーくわかると思う。これは単なる「かぶれ」とかではなく学生が勉強しやすい環境で勉強をして将来的にそれが社会に役立つ研究に成果をあげることになればそれは人を救うことになるかもしれないし、国を救うことになるかもしれない。成績優秀な人を集めるのは重要かもしれないが、その人たちの才能を引き出せる学校であることはもっと大切だと痛感した。

Wednesday, July 18, 2007

アルカイビーチ

シアトルにはウェストシアトルというピュージェットサウンドという内海を挟んだ対岸の街がある。
このウエストシアトルにAlkai Beach(アルカイビーチ)という夜間デートスポットがある。この場所へは私の住んでいたユニヴァーシティーディストリクトからは車じゃないといけない場所だった。その当時車を持っていなかったので殆どの場合、誰かに連れて行ってもらったんだろう。ただそのビーチから対岸にあるダウンタウンシアトルの夜景は本当にすばらしいものだった。あの素晴らしい夜景となるのもシアトルのダウンタウンが斜面に築かれているので水平線の向こうに雛壇飾りのように建ち並ぶビル郡が見渡せるところにあの美しさがある。シアトルに住んでいた人なら必ずあの場所へ一度は行ったと思う。
このURLでどれだけ美しいか分かるので見てください。

(http://www.pbase.com/3f3nd1/image/74362812
/http://www.pbase.com/3f3nd1/image/77906822)

それほど素晴らしい場所だった。あのビーチに面したところにアパートがあったと記憶する。あのアパートに住んでいる人は幸せだ。あんな夜景を毎晩見れるなんて。あの夜景があれば、テレビも何も言葉さえいらないような気がする。
あれだけ美しい夜景はLAのグリフィス天文台や香港やましてや函館山の夜景とはちと違う。あの内海に反射するビル郡達の夜景というのはあまりない。そこにあのアルカイビーチの素晴らしさがあるのだと思う。

もし、あなたがシアトルに旅行するなら一晩でいいからレンタカーを借りてこの夜景を見に行って欲しい。多分、夜景を見に行くツアーなどはないと思うので思い切ってレンタカーをしてみてください。決して損しませんよ。それからダウンタウン・シアトルの内海側を走る国道99というハイウェイがありそこも走ってみてください。まるで映画の世界ですよ。

Saturday, July 14, 2007

Espresso Roma

アメリカ生活の中でこのコーヒーショップを忘れることは出来ない。
アメリカでの生活を始めた頃は、ちょうど学年が終了する6月だった為、ユニヴァーシティーディストリクトという州立ワシントン大学のキャンパスに隣接する学生街は夏期休暇で実家に戻ったり、旅行へ行ったり、アルバイトに明け暮れたりしている学生で街は学生数も多くなくひっそりとしてた。私は英語学校へ通っていたが、英語学校は日本人が多く、さらに高校を卒業してすぐの人などが多かったせいもあってあまり馴染めず、一人で時間を過ごすことが多かった。そんな時、私の住んでいたアパートのすぐ近くにあったのが「エスプレッソ・ローマ」というコーヒーショップだった。私は時間があればそこでラテ(エスプレッソにたっぷりのフォームミルクを混ぜた飲み物)を飲みながら過ごす日々が続いた。そのコーヒーショップは全くと言っていいほど洒落ておらず、なんとも殺風景なコーヒーショップであった。北から南に緩やかなスロープとなっているこの街のメインストリート・ユニヴァーシティーウェイに面して入り口があり、道沿いにテラスがあり2人掛け用のテーブルとイスが3つぐらい置かれていた。入り口から中へ入ると左手は南に面した大きな窓ガラスが奥のカウンターまで続き、天井が高く壁も床もコンクリートが打ちっぱなしの何なの飾りも無い、照明もあまりない店内だった。しばらくしてから壁に油絵とかが展示されてたと記憶する。南側に面したとてつもなく大きな窓ガラスはその店内の半分をを十分に明るくしていた。全体的にパッと見はまるでどこかビルの地下にある駐車場でコーヒーを飲んでいるような感じだった。さらにテーブルもイスもきちんと置かれておらず、なんとなくお客自体が好きな場所へ勝手に自分の好みの場所に置き、すべてが散乱していると言った方が適切かもしれないような配置だった。そんな店でも晴れた日に大きな南向きのガラス窓沿いでラテを飲みながら新聞を読んだりその通りを行きかう人達を観察していると本当に幸せな気分にしてくれた。
スタッフ達もカウンターでコーヒーやペストリーを販売した後は、ほっといてくれる店だった。そのスタッフ達の無関心さが逆に私を心地よくした。何時間そこで勉強していようが、新聞を読んでいようがほっといてくれる。アパートで一人勉強するのも悪くは無いが、やはりアメリカを肌で感じたいと思う欲求をそんな場所で過ごすだけで少しばかり満たしてくれた。またそのコーヒーショップのいいところは朝7時から夜11時までやっていることで自分の何時どんな時にでも利用できたことが良かった。特にアメリカ生活の始めの頃は思ったように英語も身につかない錯覚に陥ってかなりフラストレーションがたまる生活が続いた。そんな時に家にジッとしていると流石に滅入ることが多く、話さないまでも誰かと同一の空間を共有しているだけで安心したものだった。
ここので飲むラテは20オンスぐらいの厚手のガラスカップにラテがなみなみと注がれて出てくる。そのガラスのカップも綺麗な輝くようなガラスではなく表面が細かい傷に覆われたような、今考えるとどうかと思う程のものだったが、あの時はそんなことでさえアメリカの大雑把さ、ガサツさに感動していた。その大きなカップをゴトッとテーブルに置き、人の座っていないテーブルに置かれている黒いプラスチックの灰皿を目の前に置いて英語学校の宿題とか新聞を読みながらその辺にいる学生だかなんだかわからないアメリカ人に同化しようとしているだけでアメリカ生活という言葉が頭の中を駆け巡っていた。
あれから既に19年が経ち、このコーヒーショップも「Cafe on the Ave」というお洒落な食事なども出来るレストランになったことをインターネットを通じて知った。いつまでも残っていて欲しかったあのコーヒーショップ。もしこれからシアトルへ行くことがあったら是非一度立ち寄りたい。自分の目でどれだけの時間が過ぎたのかを実感できると思うから。

レストランの思い出 その1

留学を決めてシアトルの地に着いてまずは腹ごしらえ。空港に迎えに来てくれたロクサーヌとジャッキーの2人に連れられてアメリカらしいレストランに案内された。「Red Robin」というシアトルあたりじゃかなり有名なチェーン店らしい。典型的なアメリカン・レストラン要はデニーズ、すかいらーくのようなもの。まずは入ると何名か?タバコは吸うか?と一連の質問に答えて案内されたのはテラスにあるテーブルだった。席についてからタバコに火をつけて一息ついてるとウェトレスがにこやかにこちらのテーブルにやって来た。ウェイトレスが何かを言ってるけど、何を言っているのか聞き取れない。「えっ?」思わずロクサーヌを見ると、こんな英語もわらからないのか?という顔をしながら「ドリンク、ドリンク何飲む?」と日本語で聞かれた(情けない)。ただ情けないのはまだ続く、迷っている私に「Pop? Or what?」とロクサーヌに聞かれて心の中で「えっ?ドリンクじゃないの?ポップコーン?」と私はタバコをくわえる間もなくパニック状態。ジャッキーが「Coke?」と聞いてくれて「そうそう、それでOK」とジェスチャーで対応してその場をしのいだ。「Pop」とはコーラやペプシを代表する炭酸飲料のことでアメリカ人の俗語的な口語表現だったので私が分かる由も無い。
ただそのときに自分の中でハッとした。確かに日本でコカコーラの宣伝で「♪Coke Yes Coke!!」と言っていた・・・英語じゃ「コーラ」じゃ通用しないんだ!俺はそんなことも知らないでアメリカに来てしまった!!とショックが大きかった。そのレストランはワシントン大学界隈にあるただのレストランだったが、私にとってはそれ以上の意味をもつ場所だった。ドリンクがウェイトレスに運ばれてきて食事の注文。このレストランではハンバーガーが有名だとドリンクが運ばれてくる前に説明を受けていたのでハンバーガーを注文。このときに焼き方を聞かれて耳を疑った。ロクサーヌが焼き方をどうするか聞いてるよ、と言っている。ハンバーガーに焼き方も何もあったもんじゃない!あんなに薄っぺらいパティーをそんな起用に焼けるわけが無い。とりあえず「ミディアム」と答えて、ハンバーガーが運ばれてきてやっと理解した。そのハンバーガーのパティーはマクドナルドのパティーの3倍ぐらいある大きなパティーは十分にステーキぐらいの厚さがあり、その大きさに驚きながら通は「ミディアムレア」を注文するということも知った。それ以来、「Red Robin」へ行くとハンバーガーを注文して「ミディアムレア」と不吉な笑みを浮かべて注文をするようになった。
ただのレストラン・・・でも流石、アメリカ!!英語が思うように話せない、聞けない情けなさを感じつつもアメリカに来た!と初めて実感した思い出の場所にもなった。