Friday, December 31, 2010

2011年 新年への想い

ふと振り返ると辛いことや大変なことがあったけど、このサイパンに滞在していた13年間は比較的私にとっては素晴らしい日々だった。所属している会社自体が比較的優良企業なのでその分、苦労しなかったという感もある。ただ、いつでも何かが違うと感じていた。会社に関しても特に問題なく、順調というか普通に昇進もし、それなりに社内、社外での人間関係も問題なかった。というよりとてもよかった。家族も子どもたちは元気に育ち成績も悪くない。客観的に見ても幸せな人生に見える。確かに給料がもっと上がって欲しいとかいい車が欲しいとか言い出したらきりがないがそれによって大きく左右するほどのことではなく、本質的な部分では幸せな生活を送って来た。ただ、その中でも何か引っかかるものが常にあった。心の奥底で「これでいいのか?」と問いかけるもう一人の自分がいた。それはやはり私の両親のことだった。既に年老いた両親は二人で日本で暮らしている。私ときたらその両親をほったらかして海外でのんきに生活をしてる。海外での生活、社会的地位、良好な人間関係におぼれてしまっていた。

今までのんきに生活してきた分、新年に対する想いはあまりなかったが今年は今年の目標、人生の目標を定めて生活を転換していきたいと感じている。今年の、いや、今年からの人生のテーマは「家族」だ。どんな社会においてもある最低単位社会集団として『家族』がテーマである。この最低単位の『家族』という集団をまず納められなければその上のどんな集団・グループを納めることは不可能である。現在の私の家族は私と妻と娘と息子と姪っ子の5人家族である。この社会集団に今年は私の両親を含めたいと強く望んでいる。私の現在の社会的地位も何もすべてを捨ててまでも私の『家族』を納めていこうと思う。家も小さい、お金もない、地位もない、何もないけどでもしっかりと家族が一つになってお互いを支えながら生きていけるような家庭を作っていきたい。今、どこの国や社会を見ても何か人間関係が希薄で、通常の人間関係と家族という人間関係もあまり境が無いような状態になっている。何かに感動したり、涙したり、苦しんだり、でもやっぱり生きていこうとか人生の喜びなどは存在しない社会に生きているように思える。どの時代にも少し歳とった人たちは若い連中を見て「俺達の若いころは、、、、」なんて嘆く事が多いが、最近はそれ以上に人間としての根幹のにかかわる何かが欠落しているように思える。それは想いやりだったり、やさしさだったり、中にはそんなもの必要ないTという人がいるかもしれないけれど、本当はそれが必要なのにまるで必要のないような社会や価値観を作り上げてしまったその時代の人たちの理想でしかないわけで、人間は感じ、考え、反応する、それも各自がそれぞれの価値観をもつわけだから相手を思いやる気持ちがないと社会は成り立たないと思う。

色々と書いてみたがやはり私がうちの子供達にはもっと人間らしく生きてほしいからそれを私自身が実践して教えていきたいと思う。親を敬い、大切にする。簡単なようで簡単ではないこのような生き方をしっかりと一歩一歩進んでいきたい。例えどんなに辛い道だとしも。

2010年1月1日 元日