Saturday, January 29, 2011

後悔後に立たず

心構えはしていたつもりだが、先立って飲んでたビールの酔いも手伝って父の電話には非常に動揺した。あの気丈な父が電話の向こうで声を詰まられて話していたのにはショックだった。「お母さんが調子が悪そうで食事もしないし、みんなに会いたがってる」とたぶん言っていたのだと思う。冬の寒い家の中で父が電話を握りしめて話している様子が思い浮かんだ。季節はその人々の状況で大きく変わる。冬と聞くと済んだ青空と身の引き締まる寒さを想像もできるが老人二人が肩寄せ合っている冬の寒さは想像をはるかに上回って物悲しい想像をかきたてる。そんな冬という背景設定を思い浮かべながら母の状況を考えるといてもたってもいられない気持ちだった。すぐに翌朝の日本に気のフライトをインターネットで検索、予約を入れ準備をすぐさまに完了した。それからは翌日から数日間既に入っていた予定を確認しつつ同僚に仕事を振り分けて準備を整えた。
頭の中は母の具合はもちろんのこと、それを見守る父の精神的な重圧だった。両親が住む住宅供給公社の集合住宅に越して来て早35年が経つ。あの頃は比較的若い夫婦が住む集合住宅も今では知っている人たちも既に全戸数40戸の半数になり、そのほとんどが両親と同じ70歳以上の高齢者でこちらが何かを頼んで手伝ってもらうような状況ではない。そんな状況ではうちの両親が何か困ったことがあったとしても頼れる人はいないことになる。本当に家の近くに親戚でも住んでいればいいが、結局そんな都合のいい話もないし誰かが面倒をみる必要になる。改めてこのような現実に直面すると本当に日本における高齢化社会の問題点が今後大きく日本社会・経済を左右するように思える。高度成長時代多くの人たちが田舎を後にして都会に職を求めて出て来た。その人たちがマイホームと呼ばれる1戸建て、若しくは集合住宅、マンション等を購入して自分たちの場所を確保し子供を育てた人たちが現在は子供達も既に成人し、それぞれの家族をもって親とは離れた独自の生活をしている。それが現代のライフスタイルとみんなが錯覚してその方向へ進んできたが、やはり何かに支障が出てきているような気がする。人と人とのつながりが薄れ、頼る人がいなくなり、次第に孤立していく。それにより現在の社会では高齢者たちが寂しく生活をし、ひどい時には孤独に一人アパートやマンションの一室で死んでいく。こんな状況を見ているとやりきれない想いで一杯になる。
自分自身も自分は自分、親は親と考えていたが、やはり何かが違うと気が付いた。うちの家族はキリスト教で家族の大切さ等を口にする。特に私の妻はフィリピン人で私から見ると異常と思えるぐらい家族本位の価値観をもっている。ただ、その家族本位の価値観はそれはまるで昭和初期までの日本の家族そのものである。今回、現在の仕事も辞め親の為に同居を決意したのは一般的には無謀であり子供達にとって貧乏な生活を強いることになり親としては何んとも心苦しいところはあるが、このことをが彼らの人間としての生き方の一つの糧となることは確かだと思う。日頃、子供達には人の痛みを理解できる人間になって欲しいと思っているが、年老いた祖父や祖母、親を思いやる気持ちを持ってほしいと切に願う。
私自身ももう少し早く親の為に帰国すればよかったと思う。何かあったらすぐに帰国してと常々思っていたがやはりそれではすべてが後手後手に回って遅すぎた。ただ、今は早く帰国して両親と毎日顔を合わせて話をしたり、食事をしたりしたいと思うばかりです。