Wednesday, October 31, 2007

Last Exit on Brooklyn

以前、エスプレッソ・ローマというシアトルのユニバーシティーディストリクトにあるお気に入りのカフェを紹介したが、よりマニアックな人達が集まるラスト・イグズィットというカフェも今まで出会ったカフェの中でベストスリーに入る思い出深く、素敵なお店でした。
その店の外観はとても古めかしく、ツタが這うレンガ造りの建物で重い木のドアを押し開けると天井が高く古い達磨型のストーブが冬の間、焚かれてたいようなカフェでお世辞にも「お洒落な」という店ではなく、どちらかと言うと汚い感じの店でした。中に入ればコーヒーの香ばしい香りとタバコや葉巻の香りが入り乱れた一種独特な雰囲気をい醸し出し、古きよきアメリカをそのまま感じるようなカフェでした。場所的にはワシントン大学のすぐそばで、細かく言えばBrooklyn Ave.の特に学生寮の道を挟んだ反対側にあったので来る客は学生が多いのは事実ですが、行ってみると本当にあらゆる人達が来ていました。このラスト・イグズィットというカフェはコーヒーを飲みに来るというよりも同じ趣味の人達が集まってコーヒーを飲むと言う雰囲気の場所で、例えば、シアトルの中でも囲碁をする人達はこの場所を利用して楽しみ、シアトルのあらゆる場所から囲碁をしに集まっていましたし、チェスなどの楽しむ人も沢山いました。そんなグループがあちらこちらに集まり、ちょっと騒がしげなジャズが流れる中、一生懸命勉強にいそしむ学生達、はたまた何かのテーマにおけるディスカッションをする人達とさまざまな人達の集まる場所でした。

もっとツタが壁を張っていたようなイメージがあるんですが・・・

更に、月曜日の夜9時からは歌を披露したい人達が集まり、1人、1、2曲歌う場が持たれ、何をすることでなく、コーヒーを飲みながら生ギター演奏を楽しんだりするのが楽しみでした。年齢もさまざまでしたが、やはり学生などの多くがあつまるこの場所で一番喜ばれた歌というのがカントリーソングだったのは驚きました。私がシアトルにいた80年代後半はポップミュージックが非常に流行った時期であり若者達の多くはこのような音楽嗜好があるのだとばかり思っていたが、このカフェに来る人達が一番盛り上がるのはカントリーミュージックだったことは彼らにとってそれがやはり彼らの心に触れる何かを持っているものなのだと痛感させられた。これは多分日本人が演歌を聴いてその叙情性を感じるのと同様に、アメリカ人はカントリーソングを聞くことによって決して長くは無いがその歴史の中で培われたアメリカ人なりの叙情性に訴える何かがあるのだろうと思う。
この古めかしい、貧乏学生やちょっと変わった人達が集まるカフェがとても居心地がよくいつもエスプレッソやラテを飲みながら、このカフェご自慢のホットアップルパイとバニラアイスを食べながら取り留めの無い話に興じ、ギター一本で歌を歌ったり、詩を朗読したりという何か芸術的で、でもやはり庶民的なこの古き良きシアトルのカフェは20年経つ今でもカフェというとこの場所を思い出して、私のカフェのスタンダードはこの形、雰囲気でしかないといっても過言ではない。

ただ、そんなカフェもビルディングコード(建物安全基準)や衛生基準に触れたり、特に喫煙基準が厳しくなった90年以降、カフェのオーナーの死を境にその本来の姿を変え、消えていくこととなったらしい。今ではあのカフェの姿はもう無いそうだ。今はただそんなカフェに出会えただけ幸せと思うしかありません。

Saturday, October 27, 2007

リーヴェンワース / アメリカのドイツ村

シアトルから車で2時間位の山の中にリーヴェンワースというまるでおとぎ話に出てくるようなかわいい、美しいドイツ村があります。



シアトルから車でI-90という州をまたいで走る国道を東へ向かいそこの途中から北へちょっと北上するとその山間の美しい村にたどり着きます。その村自体の美しさもさることながら、シアトルからその村まで行く山間部の道路を走っているだけで心が安らぐ素晴らしい景色に出会えます。シアトルからのちょっとしたドライブに最適な観光スポットで、冬はスキーなども楽しめる場所です。
写真から見てもわかるようにヨーロッパ・ドイツの山間にある街並みそのままで、多くの観光客がその村を訪ねてきます。夏などは色々なお祭り等の催しがある程度の田舎の村ですが、アメリカ人ももともとヨーロッパからの移民ですから祖先が感じた街並みがDNAを通じて感じさせるものがあるのでしょうか。この村へ何度か足を運びましたが、いつでも観光客で賑わっていました。
1年を通して何度か行きましたが、一番良かったのは秋でした。秋と言っても晩秋と言う感じの頃です。ちょっと寒い季節にあの村を訪ね、沢山のお土産やさんがありますがそのその店をあちらこちら見ながらレストランで暖かい食事をしたりしてのんびり過ごしたりするのはとても落ち着きます。慣れない場所なのにこんなにリラックス出来ることはあまり無いと思います。今でも少し悔しく思うのが、いつもいっしょにあの村へ行くのが誰かの奥さん(学校の同級生ですよ!)だったので泊る事が無く、美味しいドイツビールを飲むことが出来ずに帰るしかなかった。ここからは想像になりますが、あの村で1泊どこかのロッジに宿をとり、ビールを飲んでソーセージやポテトを食べた後、あの美しい村をほろ酔い気分でロッジまで歩いて帰り、静かな部屋で何も考えずに翌朝までぐっすり寝られてらいいですね。
いつかシアトルへ行くことがあれば、必ず行って見たい場所のひとつです。皆さんもシアトルへ行くチャンスがあれば行ってみてください。絶対にあの村の虜になりますよ!

Saturday, October 13, 2007

ウッドランドパーク動物園

私の生活拠点だったユニヴァーシティーディストリクトから3、4Kmのところにあまりパッとしない動物園があった。名前はウッドランドパークズーと言いシアトルの住宅地にポツンと存在するような動物園だった。シアトルに来たときからそこに動物園があったのは知っていたが別段、パンダやエリマキトカゲなどの日本で流行った動物がいるわけでもないのであまり興味を持たなかった。
或る日、学校のみんなでその動物園へ行くことになった。動物園は動物を囲う柵もなく、何となく動物があまりよく見えないような印象が強くあまりパッとしない動物園だという印象だった。ただその時、昆虫とかが飼われているビルがあり、薄暗い館内をうろうろ歩いていると本当に真っ暗でガラス張りの中が全く見えない展示があった。あまりにも良く見えないのガラスに顔を思いっきり近づけてよーく目を凝らして見ると・・・・・
何と!!今まで見たことも無いものすごく大きな(多分10cm位)「ゴキブリ」だったのには驚いた。それを見てゾッとした瞬間、体中に鳥肌が立って今でもあの瞬間は忘れない。小さなゴキブリでも身の毛がよだつのにあんなに大きいとそのショックは計り知れない!!!今でも思い出すだけでも鳥肌が立ちます!あんなに顔を近づけなければ良かった!と今でも後悔するばかり。あのゴキブリの印象が大き過ぎたのもあの動物園の全体の印象につながったのかな???

しばらくて、学校の教科書を読んでいいると動物園の話が出てきた。その動物園はあらゆる部分で環境問題に取り組み、動物園のデザイン自体を出来る限り自然に近い形で動物を管理するという理念に基づいた動物園だと書かれていた。その文章を読み続けて最後までたどり着いたところでその動物園がシアトルの「ウッドランドパーク動物園」だと言うことがわかった。そう言われてみれば動物が何となく見難かったのはごく自然な形で動物を管理して見に来る人達に自然の中での動物達を見てもらおうという意図だったのをその本を読んで初めて理解した。もう少しその動物園の下調べをしてから見に行けばもっと違った形で楽しめたのにと、その日は一日中反省をした思い出がある。基本的に行き当たりばったりの性格がこのような後悔を引き起こし、反省するたびに直そうと思うのだがなかなか直らないのが個人個人の性格と言うものなのだろうか・・・・。